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長白山の高麗人参は昔むかしから朝鮮松に守られて育ってきた

高麗人参[出典:中国の民話 名物編 第二巻]
やっぱり、高麗人参と松は、生物的に大の仲良し?

10月9日の記事で満州族に伝わる民話をご紹介しました。その中で高麗人参と松がむかしから一緒に生息していることが分かりました。

そして実際に、高麗人参と同じウコギ科オタネニンジン属の竹節人参が、松の根元に自生していることを、福島県安達太良山で発見しました。

今回、さらに中国に伝わる別の民話から、高麗人参と松がいかに仲がいいかを紹介したいと思います。

そして、中国吉林省の長白山(日本名:白頭山)が高麗人参の故郷になったのは、松の貢献があったようです。真実はいかに。

1992年東京美術より出版された「中国の民話 名物編 第二巻 第三十一話 長白山の朝鮮人参」です。

    長老たちの話によると、朝鮮人参は本来長白山にはなく、後から移ってきた物だそうだ。

    昔、山東の雲夢山に雲夢寺という寺があり、和尚と小僧が二人で暮らしていました。この和尚はかなりいいかげんな男でした。満足に念仏もせずに、」しょっちゅう山を降りてはならず者たちと遊びまわっていたのです。和尚は山を降りるたびに小僧に多くの仕事をやらせました。そのうえ、自分の機嫌に任せて顔を殴ったり、火のついた線香で頭を焼いたりしていじめたので、小僧はいつも顔色が悪く非常に痩せていました。

    ある日、和尚はまたしてもならず者たちに会いに出かけてしまいました。

    小僧はしぶしぶ雑木林に行き、柴を刈っていましたが、するとどこからか赤色の腹掛けをした男の子が現れました。遊び相手がいなくていつも寂しがっていた小僧は、突然現れた自分と同じくらいの活発な子に大喜びでした。二人はすぐに仲良しになり、和尚から言いつかった仕事も、男の子の助けを借りてあっという間にやり終えてしまいました。

    それから、和尚が山を降りるたびに男の子は小僧の所に現れ、和尚が返る直前に姿を消すようになりました。そして、それとともに小僧の顔色は目立って良くなり、いくら難しい仕事を任されてもきれいにかたづけてしまうようになりました。

    (これはなにかあるぞ)

    和尚は疑いを抱き、ある夜小僧を呼んでしつこく問い詰めました。

    和尚の質問に答えないわけにはいきません。小僧は赤色の腹掛けをした男の子のことをありのままに打ち明けました。

    (この山奥に子供などいるわけなどないのだが。これは、おそらく「棒槌パンツイ(朝鮮人参のこと)」に違いあるまい)

    こう考えた和尚は、針箱から赤い糸を取り出し、その一端を針に通すと、小僧に手渡して強い調子で言い含めました。

    「子供が遊びに来た時、おまえはこの針を腹掛けにつけるのだ」

    あくる日、和尚が山を降りると、男の子はいつも通りまた遊びに来ました。そして、さんざん遊んでご飯まで炊き上がった時、男の子は小僧に言いました。

    「もう帰る時間だよ」

    (この子に和尚さんのことを話そうか。でも後で和尚さんに殴られるのも嫌だし・・・)

    小僧はしばらくためらっていましたが、男の子がいよいよ帰りかけると、とっさに針を腹掛けにつけてしまいました。

    翌々日、朝早く起きた和尚は、つるはしを担いでこっそり外に出かけました。赤い糸に沿って朝鮮松の側まで歩いてきましたが、見ると、例の針が一本の朝鮮人参の苗に刺さっていました。

    (しめしめ、思った通りだわい)

    和尚はうきうきしながらつるはしを振るって「参孩子スエンハイズ(朝鮮人参のこと)」を掘り出しました。そして、「参孩子」を抱いて寺に戻ると、これを鍋に入れ、蓋をかぶせてその上に大きな石を載せました。

    「さっさと起きて火を焚かんか」

    和尚は急いで部屋に入り、小僧をたたき起こして命じました。

    そして、小僧が慌てて火を起こし、薪全体に火が回った時、ならず者たちが和尚を誘いに寺にやって来ました。

    「わしは用があるんだ」

    最初のうち、和尚は強く断っていましたが、しつような誘いに結局は山を降りることになりました。

    「わしが戻るまで、鍋の蓋を開けてはならん。さもなくば、おまえの足が折れるまでたたきのめしてやるからな」

    和尚はこう脅かして寺を後にしました。

    小僧は仕方なく火を焚き続けましたが、鍋がグラグラ煮え出し、蒸気が吹き出してくると、なんともいえない良い香りが部屋中に漂ってきました。

    (いったい何を煮ているんだろう?)

    小僧は好奇心から、思わず石をおろし、蓋を開けて中を覗き込みました。

    (ああ、なんて大きな棒槌なんだろう)

    大喜びした小僧は、少しつまんで食べてみました。

    (おいしい、おいしい。こんなにおいしい物、今まで食べたことない)

    もう一度食べてみるともっとおいしい味がして、こうして次から次へと食べ続け結局全部たいらげてしまいました。

    (毒を食らわば皿まで。ここまでやったらとことんやってしまえ)

    やけになった小僧は、最後に汁を犬に飲ませ、残りを寺の周囲にまき散らしました。

    少しして、小僧が鍋を洗っていると、和尚の怒鳴り声が聞こえてきました。

    (どうしよう)

    慌てふためきながら二、三歩あるいたところ、足がふらついて体がフワフワと宙に浮かび出しました。

    見ると、犬も寺も空を飛んでいました。

    一方、この様子を目にして、「参孩子」を小僧に盗み食いされたと知った和尚は、地団駄を踏んで悔しがりました。しかし、今となってはどうすることもできません。小僧を呼んでも相手にされず、犬を呼んでも「ワンワン」吠えられるだけで、和尚はとうとう憤死してしまいました。

    小僧はどうなったかですって。小僧は犬や寺とともに雲の中に消え、二度と帰ってきませんでした。

    実は、赤い腹掛けをした男の子は朝鮮人参の変身した姿でした。もともと朝鮮松の下には一対の朝鮮人参があったのですが、一本が和尚に引き抜かれてしまい、残った人参は毎日泣き続けていました。

    ある日、朝鮮松は朝鮮人参に言いました。

    「良い子だから、泣かないでおくれ。わしはおまえを連れてここを離れることにしよう」
    「どこへ行っても同じです。わたしはもう長く生きられません」

    「長白山は人間どもが少なく樹木も茂っている。もし誰かおまえを掘ろうとしても、わしは必ず守ってやる」
    「わかりました。もう泣きません」

    こうして朝鮮人参は朝鮮松に従い、長白山に流れて長白山の森に住み着くようになりました。長白山に朝鮮人参と朝鮮松が見られるようになったのは、実にこの時からです。

    当地の人参堀りたちは、朝鮮人参を掘りだした後、その髭根を傷めないようにするため朝鮮松の皮で包んでいます。これはすなわち、朝鮮松が朝鮮人参に言った約束が今も大切に守られているというわけです。

    口述=衣 同奎(イ トンクイ) 整理=于 世民(ユ スミン)

    <出典>
    中国の民話 名物編 第二巻 第三十一話
    蔡敦達(ツアイトウンダア)・高梨博和編訳、呂敬人(リューチンレン)絵
    東京美術発行 1992年出版

民話から見えてくる高麗人参の生態

前回同様今回も、教訓的な面は脇に置いて、生物学的な面を探ってみたいと思います。民話は長年語り伝えられていますので、そこにはそれなりの真理が含まれていると思います。

やっぱり、高麗人参は松に育てられて大きくなる

民話では、朝鮮松は朝鮮人参に対し、「長白山は人間どもが少なく樹木も茂っている。もし誰かおまえを掘ろうとしても、わしは必ず守ってやる」といっています。

陰性植物である高麗人参には、直射日光を遮ってくれる樹木が茂っていることは大切なことです。

必ず守ってやるという言葉には松の力強さを感じます。その松の名は、朝鮮松。

高麗人参が好きなのは朝鮮五葉! 赤松や黒松はいや?

朝鮮松とは朝鮮五葉のことで、ご存知の健康食の松の実が採れる松です。種子の殻を割って中の胚乳を食用とします。

ほとんどは中国からの輸入です。日本には本州の中部地方、四国に分布し、亜高山帯に生え、高さは20メートルにもなります。

日本に高麗人参が自生しないのは、朝鮮五葉が少ないからでしょうか?高麗人参は赤松や黒松などの日本の松では、いやなのでしょうか?

栃木県日光市の「日光植物園」に朝鮮五葉があります。日光植物園と言えば、徳川吉宗が世界で初めて高麗人参の栽培に成功した場所です。

ここに朝鮮五葉があるのは、高麗人参の栽培環境を整えるためであったのでしょうか。偶然とは思えません。折を見て調べてみたいと思います。

高麗人参のふるさとは山東だった?

民話によれば山東省から吉林省長白山に移り住んだということを伝えています、長白山は現在も高麗人参の一大産地として有名です。

しかし、山東省が高麗人参の産地というのは聞いたことがありません。

この民話の口述者は衣さんとなっています。中国には衣さんという名字の方は、全国で0.0013%16万人居られるそうで、山東省に多く、遼寧省、吉林省が続きます。

口述者の衣さんが、どこにお住まいなのかわかりませんが、山東省から吉林省の長白山に大掛かりな人の移動でもあったのでしょうか。

山林の開拓事業でもあって、その入植者が高麗人参と松を持ち込んだのでしょうか。

前回の民話(10月9日)によると、長白山からさらに北の黒竜江省の興安嶺へ松と高麗人参が引っ越しています。北へ北へ、なぜだろう?

二つの民話の関連はよくわかりませんが、民話の時代背景や民族などもっともっと調べていけば、面白いでしょうね。

高麗人参と松の共生を明らかにして究極の薬効を!

高麗人参と松の関係がゆるぎないものであることが分かってきました。今後も生物の専門書なども含めて、調べていきたいと思います。より良い品質の高麗人参の栽培に生かせればと思います。

生物の共生関係や松の菌根菌、とくに朝鮮五葉の菌根菌についてご存知の方がおられましたら、アドバイスを頂ければ幸いです。