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黒田官兵衛を悩ませた高麗人参栽培の最初の難関は、発芽の難しさ!

高麗人参[高麗人参の発芽]
四千年前から愛されてきた高麗人参、しかし栽培が始まったのは約三百年前。高麗人参の栽培を拒んだのは一体なに?

日本で最初に高麗人参の栽培にトライしたのは黒田官兵衛でした。官兵衛の祖父黒田重隆は目薬屋で、その原料である薬草を栽培していました。その影響もあってか、余生を高貴で神秘に満ちた高麗人参の栽培に没頭しました。

幼少の頃、祖父から教わったであろう薬草の栽培知識も役に立ったことと思いますが、残念ながら官兵衛は高麗人参の種子を発芽させることはできませんでした。

同じく豊臣秀吉の家臣であり、黒田官兵衛にキリスト教を薦めた蒲生氏郷も、1593年11月朝鮮出兵から持ち帰った高麗人参の種を、会津若松城下の小山に播きました。翌年の春には、悪化した病気の養生のため上洛してしまいますが、残念ながら発芽したとの吉報を聞くことはありませんでした。

黒田官兵衛も蒲生氏郷も、日本で初めて高麗人参の栽培を試みたものの、種子を発芽させることすらできませんでした。高麗人参の栽培において、土づくりも重要ですが、当時はいかに発芽させるかが最重要課題でした。

高麗人参種子の未成熟な胚を発育させる「催芽処理」

高麗人参の採種は7月中旬頃

高麗人参[高麗人参の真っ赤な実]

高麗人参の花は6月上旬に、花蕾の外側から開花を始め、約一週間で咲き終わります。

その後、真っ赤な実をつけ、7月中旬から下旬にかけて採種します。


高麗人参[高麗人参の果肉中の種]

赤い実には、1~2個の種が入っています。

種の周りの果肉には発芽抑制物質が入っていますので、果肉を完全に落とさないと発芽しません。
また、果肉は後々カビの原因にもなるため、十分に落とす必要があります。

この果肉を落とす作業は、けっこう厄介な作業です。


高麗人参[高麗人参の種_催芽処理前]

高麗人参は被子植物で、種は固い殻に覆われていて、殻の割れ目は固く閉じています。

採種後の種の中の胚は小さく、発育も悪いためこのまま播いても発芽しません。

自然環境では良い土壌に落ち、腐敗せず周りの果肉が落ち、順調に胚の成長が進んで、運が良ければ翌々年の春に発芽します。


胚の発育を促進する催芽処理

官兵衛の研究から140年後、ついに種子中の胚の発育を促進し、発芽しやすくする方法が開発されます。これを「催芽処理」といいます。

高麗人参[高麗人参の種‗催芽処理後]

催芽処理の方法は、木枠を組んで底には排水を良くするために砂利を敷きます。

次に種子より細かい篩(ふるい)でふるった川砂と種子を1:3の割合で良く混合し、木枠の中に入れます。

深さは60cmとして秋までに1,2回ほど上層を攪拌して芽切りを均質にします。種子の量が1~2升程度の少量の場合は素焼き鉢を用いたほうが作業は簡単です。

催芽処理は7月下旬から遅くとも8月の上旬までに行います。催芽の適温は10~15℃です。土壌水分は15%前後になるよう潅水します。

直射日光を避けるため日除けをします。温度が高すぎたり、乾燥あるいは過過湿になると芽切れが良くありません。

催芽処理後には、胚が膨らみ、殻の割れ目が少し広がります。


高麗人参[高麗人参の種の胚が発育し膨らむ]

催芽処理に畑土を用いると、立枯病菌やその他の腐敗菌によって後々根が腐ることがあるので、川砂を用いたほうが安全です。

また、ジベレリン50ppm液に種子を二十四時間浸漬し、川砂に混ぜて催芽させることもできます。この方法で催芽処理した種子のかい割れが十分でないときは、未催芽種子を選り分け、ジベレリン25ppm液に十時間浸漬し、再び催芽処理をすると完全に催芽させることができます。

右上写真をみると、種の中の胚は大きく成長し、殻を割って出ようとしている様子がわかります。

ただし、催芽処理した種子や発芽後にジベレリンを使用すると、不時出芽や徒長するので注意する必要があります。


高麗人参の種まきは雪の降る前に行う会津

高麗人参[高麗人参の発根&発芽]

高麗人参の種まきは、10~11月に播く秋蒔と、春先の3月に播く春蒔があります。福島会津では、積雪が多く春の雪融けが遅いため、秋蒔が一般的に行われています。

土の中で胚がさらに成長し、まず根が出てきます。そして根の付けから茎が出て、4月の中旬から下旬には地表に芽が出てきます。三枚の若葉です。

一年目は、この小さな三枚の葉のみで光合成をしますので、成長は極めてゆっくりです。ひ弱なひ弱な1年生です。


黒田官兵衛や蒲生氏郷は高麗人参の種子の発芽ができませんでした。しかし、栽培上の問題点を明らかにして、次世代につないだ功績は評価できます。

官兵衛と氏郷から約140年を経て、徳川幕府八代将軍吉宗が招集した高麗人参栽培プロジェクトによって、催芽処理技術が開発され、発芽の問題は克服されました。現在もより良い催芽処理方法の改善が続いています。