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人類史上最初に高麗人参の薬効を見出した満州族に伝わる民話

高麗人参
高麗人参にまつわる中国の民話をご存じでしょうか?

神秘の薬効を持つ高麗人参には、数多くの伝説や民話が言い伝えられています。その中には、高麗人参の生態を垣間見ることができるものもあります。

今回は、石川鶴矢子さんの著書「中国の民話 石の羊と黄河の神」にある「薬用人参と松」をご紹介します。

高麗人参のふるさとである吉林省近辺に点在して住む満族(満州族)に伝わる民話です。

満族は、清朝(1644~1912年)を興し中国全土を統治支配した最後の民族で、ラストエンペラー愛新覚羅溥儀が有名です。満族は、中国東北部、沿海州が発祥のツングース系民族で、高句麗(~668)や渤海(699~926)を建国したとされ、日本にも高麗人参を贈ってくれました。

人類史上で最も早く高麗人参の薬効に気づき、民間薬として使用し始めた満族の民話です。

    むかしから薬用人参と松の木は大の仲良しだった。薬用人参と松はながめのいい、土地の肥えた谷や平原に住んでいた。松は枝や葉を繁らせ、人参が日にさらされないよう、いつも守っていたのである。人参のほうも土をほぐして柔らかくし、松が思う存分に根を張れるようにしていた。つまり、一つところに住んで、仲良く助け合っていたのだ。

    歳月が流れ、地上に人間が住むようになった。人間は松の木を伐り倒し、家を建て、車を造った。それで時がたつうちに、平原や山野に生えていた松の数はしだいに少なくなった。

    ある日、松は言った。

    「人参さん、わたしにも災難がふりかかってきそうだ。どうしたらよいか教えておくれ」

    「松さん、北の興安嶺(※1)へ引っ越したほうがよいかも。あのあたりは人里はなれた山奥だから、鳥さんが住んでいるだけで、人間は入っていかないだろうよ」

    「でも、わたしが引っ越してしまったら、お前さんはどうするつもりかね」

    「心配することはないよ。おいらのことを忘れずにいてくれさえすれば、それで結構。野原の草たちが太陽から守ってくれるだろうよ」

    こうして仲良しだった松と人参は離ればなれになった。松は果てしなく続く興安嶺の山奥に住み移り、たくさんの子孫をふやし、いたるところに緑の大海原を広げていった。

    それからまた歳月が流れた。そのあたりを治めていた王が、ことのほか薬用人参を賞で、臣民から始終取りたてていた。大きなものを貢いだ者にはほうびをあたえたが、小さなものしか貢げない者には罰としてアキレス腱を切ったり、牢屋にぶちこんだりしたので、人々は血まなこになって人参を探しまわるようになった。

    人参たちはどうしたものかと相談したあげくに、興安嶺の山奥に引っ越すことに決めた。松の木の根元に越していけば、山の中でもあるし、木も高く、草が生い繁っているから、人間の目にとまりにくい。

    人参はそう思いたつと、すぐさま松を訪ねて助けを求めた。しかし、山の中で心地よく暮らしていた松は、とうのむかしに人参のことは忘れていた。

    人参のたのみをじっと聞いていた松は、針のような髪をふりながら考えた。
    (口に出しては言えんが、人参が引っ越してこないほうがいいなあ。あいつが近くに住むとなると、人間どもがやってくる)

    しかし、人参が何度もたのむものだから、承知するよりしかたがなかった。

    人参はようやく興安嶺の松の木の根元に引っ越してきたが、まだ心配でならず、松に念を押した。

    「松さん、人間がやってきても、おいらがここにいることは絶対に内緒にしておくれ。さもないと、おたがいひどいめにあうからね」

    松は人参の言うことを軽く聞き流した。だが、それから間もなくのことである。人間たちがこの山奥にも人参を取りに入ってきたのである。

    人間たちはみな目をこらして探しまわっていたが、見つからなかったので、松の根元に腰をおろして休んでいた。

    松は考えた。
    (人参が根元にいることを教えてしまおう。やつがいなくなれば、おいらは静かに暮らせるんだ)

    そこで、
    「人参をさがしているんだったら、わたしの根元にかくれているよ」
    と、人間に告げた。

    人間たちは、たくさんの人参を掘りあてて大喜びだった。さて、こんなにたくさんの人参をなんで包んだものか。
    「松の幹の皮をはがして包もうや」
    と頭が言った。

    それからというもの、山で人参を掘りあてると、人間は松の幹の皮をはがして包むようになったので、松にも災難がふりかかってきたのであった。

    (『満族民間故事選』口述・嫰江鎮(町)郊外の農民・呉徳布老人 再話・富育光)

    (※1)興安嶺(こうあんれい) 黒竜江省の西部には大興安嶺、北部にはイラフリ山、東部には小興安嶺があって、それらの総称を興安嶺という。

    高麗人参

    [出典:石川鶴矢子著「中国の民話 石の羊と黄河の神」]

この民話から見えてくる高麗人参の生態とは

民話には教訓的な意味が込められますが、今回は教訓は別として、高麗人参の生態に関する情報を探ってみたいと思います。

高麗人参と松は生物学上とっても仲良し

高麗人参[松の木の周りに群生する薬用人参]

この満族の民話は、薬用人参と松の木は同じ場所に生息していることを言っています。道義上は仲は良くないかもしれませんが、生物学上は仲が良いと言えます。

職業的人参掘りのシンマニにも、高麗人参は針葉樹と広葉樹が二対三の森林にあると言っています。

実際、わたしも松の根元に竹節人参を見つけました。証拠写真もあります。


高麗人参と松は共生体ではないか

これらのことを踏まえると、高麗人参と松は共生体ではないかと推測されます。松は外菌根性樹木であり、病原菌に弱い高麗人参は松の外菌根菌によって守られているのではないかと。
今後もっと調べてみたいと思います。