高麗人参のふるさとは何処?
そもそも高麗人参はどこに生えているのでしょうか。
高麗人参の産地として有名なのは、北朝鮮の開城、韓国のプンギ、そして日本では福島、島根、長野です。しかし、これらの産地のいずれものちに栽培が盛んに行われるようになったところで、自生しているものがあるわけではありません。
野生の高麗人参が自生しているふるさとは、北朝鮮と中国北部の国境にある白頭山(中国名;長白山)の山裾に広がる火山灰に覆われた高原地帯です。
かつては、白頭山を中心にして半島をつらぬく山脈の密林中の到るところに原生し、旧満州吉林省から奉天賞、ロシアの沿海州に広く分布していました。そして、何時の頃か山麓の住民たちは、その野生の人参が素晴らしい効能を持った薬草であることを、長い年月を経て確かめていったと思われます。
歴史の記録上、高麗人参を最初に飲んだのは?
紀元前3世紀頃、秦の始皇帝は方士の徐福に長生不老(不老不死)の霊薬を探してくるよう命じます。そのことについて記した司馬遷の「史記」によると、徐福は東方の三神山に霊薬を求め旅に出ます。そしてついに探し当て持ち帰ったものは高麗人参であったと伝えられています。
三神山のひとつは日本のことで、徐福は日本にもやってきて全国各地を回ったようで、各地に徐福にまつわる伝説が残っています。残念ながら日本には高麗人参は自生しておりませんので、徐福が持ち帰った高麗人参は朝鮮半島で見つけたものと思われます。
しかし徐福が持ち帰った時には、すでに始皇帝は亡くなっており、徐福が持ち帰った高麗人参はいったい誰が飲んだのでしょうか?(ご存知の方がおられましたら教えてください。)
高麗人参の効能は二千年前にすでに分かっていた
高麗人参の効能について記録として残っているものは、中国前漢後期、元帝の時代(BC45-33)に書かれた史遊(しゆう)の「急就草」が最も古いとされています。この書物の中で、人参の「参」がはじめて用いられています。
また、薬の神様である薬祖神農氏(BC2,300年代)によって記された「神農本草経」にも人参について書かれていますが、神農が実在したかどうか疑わしいため、神話的な要素を含めて後世になってから編纂されたと考えられています。
しかし、ひとつの薬草が書物に記録されるまでには、やはりそれなりに古くからから使用され続けられたと思われます。そして、数多くの植物の中から選別され、その効能が経験を通して確認される必要があるので、人参の歴史は二千年以上あることは間違いありません。
3世紀の後漢になると、張仲景が記した「傷寒論」(しょうかんろん)には、高麗人参を用いた処方が20余り書かれています。そこには現在知られている薬効がほぼ正確に書かれていますので、すでに相当な年月の臨床的な知見を積んでいたと考えられます。